感度三千倍
感度三千倍。そんなものはない。実際に三千倍になんかになったら一撃でショック死する。
だけど僕らはそれについて言及しない。チンコをシゴくのにリアリティなんか不要だからだ。
Twitterをインターネットでのメイン居住区にすると、『他人ツイ嘘認定後発狂病』を発症している隣人が度々見受けられる。
確かに、インターネットで生き残る為には『嘘を嘘と見抜く力』が要求される。それは間違いない。
ただそれと同時に、『見抜いた嘘を現実として楽しむ寛容さ』も必要なのではないだろうか。
そもそも、発言に対して裏付け及び責任が問われるのは、実名で運営する、言わば現実の延長線上にあるアカウントである。
HNに偶像をアイコンにした我々の発言に責任などないのだ。
責任がないはずの言葉を受け取り手が真剣に受け取りすぎるせいで、言葉の重みに釣り合わない影響力が生まれてしまうのである。
現代人は、Twitterと現実を余りにも混同しすぎてるのではないだろうか。
実名を出している『現実』アカウントとHNで活動する『仮想』アカウントには、決して越えられない境界線がある。後者の発言に一々責任を問う意味はない。
感度三千倍は受け入れられる。仮に感度三千倍が気に入らないないなら、別のエロに手を出すだけである。シコるのに虚実は重要でないからだ。
Twitterも結局同じであり、インターネット人間の発言は全て虚言であるとし、そしてその虚言を冗談として楽しむ。気に入らなかったら流す。それでいいのではないだろうか。
私は感度三千倍笑っちゃって抜けませんが。