レジ袋
レジ袋が有料化した。
私が遊ぶ金欲しさに働いているDSでは既に4月から有料だったが、今回はコンビニ等もまとめて有料にしたのだ。
…なんで?
いや、いい。この際『そもそもレジ袋は漂着ゴミの中ではマイノリティ』だとか、『廃油で作ってるだろ』とかの理論武装はいらない。
私が気にするのは、『誰が得するのか?』である。
キャッシュレスはなんとなく利権の形が見えた。そもそも客側も店側もメリットがあるキャッシュレスを比較に出すのはどうかとも思うが、とにかくキャッシュレス激推しは理解できたのだ。
レジ袋、誰が得するんだ?
コンビニ本社だって本当はどうするか知らんが、一応レジ袋の売り上げは環境保全団体へ寄付すると言ってしまっている。まさかエコバックなんてほっそ〜い利権なんてありゃしないだろうし。
店は手間が増え、客も手間が増え、本社は儲からない。今までビニールで纏めてたおにぎりのゴミをポイ捨てするような奴も出てくるだろう。一体全体誰が得するんだ。
やってる感出す為だけに適当なことをするな。全く意味のない倉庫の整理をしながらそう思った。
ソシャゲ
もはやスマホを持ってない人間が圧倒的にマイノリティと化した昨今、ソーシャルゲームの発展は目まぐるしいものがある。
私が初めてスマートフォンを持った日からはや10年。当時はiPhone4とかだったのに今や12とか言ってるのだから大したものである。
機体の性能が上がるにつれて、中身も充実していった。新タイトルが高度になるだけではなく、パズドラのようなソシャゲ黎明期を支えたタイトル達もアップデートを重ねていった。
サービス開始当初は位置偽装や、人が多い駅に行くだのしなければクイーンバタフライの運極を作れなかったモンストも、今やベッドで漫画読みながら作れてしまう時代である(もっともそんな地点は数年前に通過したわけだが)。
他にも現実とよりリンクさせたARゲームのポケモンGOや、かなりのスペックを要求するPUBG MobileやCODモバイルなど、iPhone4を握っていた頃では考えられないようなゲームが続々とスマートフォンで遊べるようになった。
当然、「次は何ができるようになる!?」と期待が膨らむわけだが、残念ながら最近ソーシャルゲームの進化は止まっているように私は感じる。
ここ最近、ゲームとはおおよそ呼べない単純な作業を強いるだけの「ゲー無」が乱発されている。
本来ゲームとは、なにかの目的を持ちそれをクリアして得る達成感がメインコンテンツの筈である。
それが強いボスであれ、難易度が高い謎であれ、はたまた広大な世界で資材を集めて作る自分だけの家であれ、ある種の達成感を得ることがゲームの楽しさだったはずである。
最近のソシャゲは「ガチャで強いキャラを当てる」がその目的になり、肝心なゲーム部分が薄くなってはいないだろうか。
別にパズドラを複雑操作の頭脳ゲーと言う気はない。だが、少なくとも昔は、「高難易度ダンジョンをクリアする」という最低限の達成感は得させてくれてたと思う。
可愛い女の子を置いたり、人気タイトルの力を借りたりしてガチャを引かせまくった方が楽にお金儲けできるというのは重々理解できる。
客がゲーム性を求めていないんだから、ゲーム部分が希薄となるのは当然である。
寧ろ難しい操作や敵などはマイナス要因とさえなりかねない。今は「簡単操作」や「放置」がウリになってしまう時代なのだ。
こういったソシャゲの変遷を見ていると、所謂「なろう系」が流行ったのも同じような理由ではないだろうかと推測できる。
みんな疲れているから、わざわざアニメに複雑な設定とか伏線を求めない。美少女がなんか動いてればそれでいいのである。自己投影した主人公が無双していればなお幸福になれるのではないだろうか。
だが1ユーザーとして、そんな時代だからこそメーカーの皆様には、「ゲームが面白いから課金したくなるソシャゲ」を作っていって欲しい。
私はデータガチャポンを引きたいのではなく、そのガチャポンの景品で遊びたいのだ。
幼少の頃ビデオ屋の前にあった、トランシーバーが当たるガチャガチャ。「当たったら秘密基地で使おう」そう心に決めて回していた。
それくらい当たった後の夢とワクワクがあるからこそ、人はガチャが楽しかったのではないだろうか。
東方ロストワードで藤原妹紅を引けなかったから書きました。
流行
巷ではコロナウイルスという物が流行っているらしい。
なんだかウイルス自体での死人より経済悪化での死人の方が増えそうな勢いだが、一応流行ってはいるらしい。
コロコロ発言を変えるWHOを見ると、高校生の頃のある友人を思い出す。
当時も「こうやって人は信用を失っていくのだなあ」としみじみ眺めていたが、国際機関のトップがそれをやっているのだからたまったものではない。
高校時代と流行という単語を並べてふと思ったが、私の高校生当時はパズドラが大流行していた。
クラスでやってない人間は居ない。電車で縦画面でなんかやってるやつは大体パズドラ。
生放送があればトレンド欄が埋まり、セールスランキング2位になっただけで異常事態扱いされる。そんなレベルの覇権だった。
最近では「オワコン」と囁かれているが、それでも強豪ソシャゲの地位はキープしているのだから流石である。
同じゲームが8年遊ばれている時点で凄いのだから。
コロナウイルスがパズドラのように息が長い流行にならないことを何よりも望む。
小保方、細胞をオレンジジュースに浸して遊んでないでさっさとワクチンを作ってくれ。
感度三千倍
感度三千倍。そんなものはない。実際に三千倍になんかになったら一撃でショック死する。
だけど僕らはそれについて言及しない。チンコをシゴくのにリアリティなんか不要だからだ。
Twitterをインターネットでのメイン居住区にすると、『他人ツイ嘘認定後発狂病』を発症している隣人が度々見受けられる。
確かに、インターネットで生き残る為には『嘘を嘘と見抜く力』が要求される。それは間違いない。
ただそれと同時に、『見抜いた嘘を現実として楽しむ寛容さ』も必要なのではないだろうか。
そもそも、発言に対して裏付け及び責任が問われるのは、実名で運営する、言わば現実の延長線上にあるアカウントである。
HNに偶像をアイコンにした我々の発言に責任などないのだ。
責任がないはずの言葉を受け取り手が真剣に受け取りすぎるせいで、言葉の重みに釣り合わない影響力が生まれてしまうのである。
現代人は、Twitterと現実を余りにも混同しすぎてるのではないだろうか。
実名を出している『現実』アカウントとHNで活動する『仮想』アカウントには、決して越えられない境界線がある。後者の発言に一々責任を問う意味はない。
感度三千倍は受け入れられる。仮に感度三千倍が気に入らないないなら、別のエロに手を出すだけである。シコるのに虚実は重要でないからだ。
Twitterも結局同じであり、インターネット人間の発言は全て虚言であるとし、そしてその虚言を冗談として楽しむ。気に入らなかったら流す。それでいいのではないだろうか。
私は感度三千倍笑っちゃって抜けませんが。
横画面ソシャゲのそうじゃない感
今回は短いです。
世はソシャゲ戦国時代。ガンホーが統一したと思われた天下の行方は、モンストやDTCG勢などの台頭によってまた分からなくなっていった。
年齢層という意味であればポケモンGOが高齢者地方の統一を成し遂げた。しかしあいも変わらず若年層〜中年層地方は群雄割拠なのである。
しょうもない前置きはさておき、新作がリリースされたら即プレイする私として、最近のソシャゲ業界に言いたいことがある。
それは
「もう横画面のソシャゲやめませんか」
である。
まあDTCGはゲームのシステム上横になるのも仕方ないかもしれない。そういう意味ではデュエルリンクスはようやっとる。
ただ、他のソシャゲは縦で良くないか。結局薄っぺらいゲーム性を美麗(笑)なムービーとかアニメーションで誤魔化そうとするから横画面になると思うのだ。
じゃあ縦なら全部いいのかというと、別にそういう訳でもない。ポケマスとかあんなん開発の時点でクソゲボにつまらんこと分からなかったのか?
これはもうアレだ。KONAMIさん。KONAMIさんの力が必要です。KONMAIさんが栄冠ナインのアプリを出すのです。
ポケモン新作に対するお気持ち表明
11月も中旬に差し掛かり、冬の足音が確かに聞こえるようになりつつある今日、皆様いかがお過ごしでしょうか。私は鼻風邪をひきました。
外は寒くなったにも関わらず、メラメラと燃え盛っているのはポケモン界隈。
ツイッターに流れてきたリーク情報を元にした仮定の話も含みますが、私なりの意見について書きたいと思います。
1.ポケモンリストラ
これについては、かなり前からぼんやりとアナウンスがありました。正直準伝を含めた伝説、過去作御三家は出ないだろうなと思ってました。どうあがいてもガラルに野生として配置できないし、削るなら最初はそこだろうと…
悲しい!!只々悲しい!!何が悲しいって(あくまで不確定ですがリーク情報によると)私の最推しであるクロバットくんも今回お休みとなってしまったのです!!
(クロバットくん)
こんな悪ぶった見た目をしておいてなつき進化のクロバットくん。進化前であるズバットはどの作品も序盤で出会えたので、今回も内定だと勝手に思ってました。
ただまあ、『そんなものなのかな』とも思います。私はつい最近ひさびさにポケモンがやりたくなってパールをプレイしていたのですが、その手持ちは
こんなんでした(NNはエロメンコより)
何が言いたいかって、ストーリークリアするんだったら割と『その地方のポケモン』だけで事足りるんですよね。
私は幻とか禁伝そこまで好きじゃないので手持ちに入れない(だいたい終盤で手に入るから愛着がない)ですが、キッズならその地方の伝説+御三家で3枠は埋まりそうですし。
確かに好きなポケモンは居ますしそのポケモンが出ないのは少し寂しいですが、じゃあ毎作品そのポケモンをストーリーで使っているかと言われるとそうでもない。
その旅で出会ったポケモンと楽しく旅をするのもゲームの醍醐味の一つなのではないでしょうか。一期一会を楽しむ心も大事だと思います。
というわけでポケモンリストラに関しての私の意見は、「悲しいけど仕方ない」ですね。
2.新作ポケモンのデザイン
これはもう人次第としか言いようがありません。
個人的には「広告に綺麗所持ってきたな〜」ってくらいですかね。
(公式の公開した画像)
なんていうか確かに万人ウケするならこの辺の奴らだろうなって感じですね。
この画像、序盤ポケくくりの可能性もありますが、ジェラルドンってドラゴン持ってるしポジション的にフライゴンとかオノノクスじゃないんすかね?まあまあの大器晩成型っぽいですよね。
そもそも私はBWクソデザインの筆頭扱いされるバイバニラとか結構可愛いって思ってるので割となんでも受け入れちゃう説はあります。
(バイバニラくん)
結局旅パに入れりゃなんでも愛着湧くんだよ!!!可愛いだろうがよ!!!!!
文句言ってねえでニックネームつけて可愛がれや!!!!!
でもあの化石だけはマジで無いと思いますね。アレ入れるくらいならガラルオムナイトとかで良かっただろ。
3.増田ァ!!!!!!
コイツが全部悪い。そもそもリストラを「今回の地方は寒いから云々…」みたいなしょうもなくボカしたのはなんなんだ。ジョークのつもりか?
DS最初のポケモンであるDPと同じで新ハード初ポケモン(ピカブイは忌み子)ってタイトルなんだし、別に500匹程度でも良い。DLCとかでこれから増やしていきますって言えば良かったんだ。
どうせ次回作は今作のモデル流用したDPリメイクなんだろうし、DP以前のポケモンはDLCで順次追加で良かっただろ。なんで打ち切ったんだよ。
なんていうか、ちゃんとアナウンスすべきことをしない所為で余計に叩かれている気がする。
『SMで新ポケモン全部事前アナウンスしたけど不評だった』って理由で新ポケモンを隠す理由は十分理解できるけど、だからといってリストラ対象を隠す理由にはならないだろ。
リストラ自体は悪いことじゃないし、理解もできる。ただ目先の売り上げの為だけにそれを隠した。私は只々それが悲しい。
慰めてくれサイトウ…(結局ソード予約しました。)
『e-Sports』
結構前、長嶋一茂さんがプチ炎上していた。
「e-Sportsはいいとこ将棋やチェスのようなマインドスポーツであって、スポーツではない。全身の筋肉を使うのが〜〜」とe-Sportsを否定した結果、ネット民の怒りを買ったという話である。
この発言の是非は置いといて、私もe-Sports呼び反対派であり、オリンピック競技化とかとんでもないと思っている。ふつうに『プロゲーム』でいいではないか。
e-Sports呼びを否定する人間への反論として、「e-Sportsは反射神経などをとても使うし、反復練習もスポーツ並に必要!!」という意見がまあまあの頻度で見られる。
シャドバの勝率を上げることと、100m走で0.1秒を縮めることを同じ“反復練習“でくくるのはどうかと思うが、そこは一旦置いておく。
そもそも私はプロゲーマーを凄いと思っているし尊敬もしているのだ。彼らの努力を否定する気は一切ない。
ではe-Sportsに何が足りないのか。それは選手の努力ではなく競技自体の『連続性』である。
スポーツとは同じルールのもとで皆が競い合うものだが、その”皆“には過去や未来の人間も含まれるのである。
決まったルールが長い年月連続するからこそ、我々はカールルイスとウサインボルトを比べることができるし、出場選手の平均タイム推移から、靴の性能やトレーニング方法の進化を感じ取れるのではないだろうか。
つまり、私の中でスポーツには「そのスポーツに携わった人間達の積み重ね」が必要なのだ。
e-Sportsに、人間の積み重ねはない。
勿論、ゲーム機自体の進化はあるが、そこにプレイヤーの進化や熟成は見られない。
プロゲーマーというのは、新作が出ればそれに対応する。何故なら古いゲームは廃れるからである。e-Sportsの競技としての歴史が新作が出る度にぶつ切りになってしまうのだ。
もし本当にe-Sportsを競技化したいなら、対象を最低でも数種のゲームに絞るべきである。
格ゲーやFPSを何十年と続けたら、一強だと思われてたキャラの弱点が発見されたりして、戦術が回っていくだろう。勿論、バランス調整は厳禁だ。それはもう新作を出したのと同じで、ただのリセットである。
つまり、そもそもカードプールという大前提が定期的に変わるシャドバなどのDTCGは、スポーツにするのに無理があるのだ。
バランス調整がなく、これから先も飽きられず積み重ねていける電子ゲーム。
なるほど、そう考えると確かに将棋やチェスはスポーツと言えるかもしれない。